ポップカルチャー好きのブログ

好きなドラマ、音楽、舞台の感想を気ままに書きます。

『G線上のあなたと私』3話

大人のバイオリン教室に通い始めた元OLの也映子(波瑠)、大学生の理人(中川大志)、主婦の幸恵(松下由樹)、三人の友情や恋愛を描く本作。一言では言い表し難い感情の繊細な描写や台詞が良い。そして、それを表現する三人の演技力が高く、毎週楽しみに見ている。

三人それぞれ悩みを抱え、日々落ち込むこともあるのだが、絶望し続ける訳でもなく、バイオリン教室で三人揃うことが日常の中でのちょっとした幸せになっている。

也映子(ナレーション):「居心地の良い場所を一つ持っていなさい。」誰かに言われた気がする。そういう場所が一つあるだけで、人生はとても楽になる。

このドラマを見ていると「あぁそうだよね。日常ってこんなふうに、安心できる誰かとの他愛ないやり取りに救われるんだよね。」と思い出させられる。

幸恵も也映子も、前に進めないことや落ち込むことのある日常を少しでも楽しいものにしようと努力していて、「もっと楽しくなる」と涙を流す。2話では幸恵の姑が旅行で家を留守にする間に、幸恵の自宅に也映子と理人を招いて楽しく練習を始めようとしていたところ、姑が突然帰宅。「もっと楽しくなるはずだったのに」と悔し涙を流す幸恵。
3話では、理人が片思いしていたバイオリン教室の先生、眞於(桜井ユキ)に振られ、バイオリンをやめると言っていることに対し、婚約破棄された自身を重ね合わせているのか、号泣しながら理人を励ます也映子。その勢いに乗って次のように話す。

也映子:バイオリン続けようよ。せっかく弾けるようになったしさ。理人くん、ビブラートもすごい上手だしさ。きっともっと、色んな曲が弾けるようになって、もっと楽しくなるよ。幸恵さんだって、こんなのが最後じゃすごい残念だと思うしさ。三人で続けようよ。ねぇやろうよ、やめないでよ。

「この場所をなくしたくない。」と泣きながら話す也映子。それに対し理人はあたたかい表情を浮かべた後「マジ泣きじゃん。眼鏡びしょびしょじゃん。」と大笑い。最初は眞於と接点を持つために通い始めたバイオリン教室だったが、理人にとっても「居心地の良い場所」となっているのだろうか。

私自身、学生の頃から趣味で音楽をやる中で、音楽のような趣味を介した仲間との「居心地の良い場所」の大切さをしみじみと実感する。友人や恋人として誰かと関係を築くのとは違う、同じ趣味、同じ目標を持つ仲間との時間には特別なものがある。
ドラマの中の三人だって、別にバイオリンでプロを目指している訳ではない。もし理人がバイオリン教室をやめたとしても、也映子は友人として彼と会うことも出来るだろう。でもそれでは「居心地の良い場所」ではなくなってしまうのだ。バイオリンがあるからこそ、「もっと楽しくなる」のだ。ドラマチックな展開や劇的な感動なんて、日常にそうそうない。何でもない趣味を通して、毎日が「もっと楽しく」なったらいい。そういう些細な日常を丁寧に描くこのドラマが私はとても好きである。

『きのう何食べた?』1話

仕事で嫌なことがあっても、恋人と喧嘩をしても、丁寧に作った食事を囲めば幸せな気持ちが戻ってくる。そんな日常の大切さを思い出させてくれるドラマである。

よしながふみによる同名漫画のドラマ化。弁護士の筧史朗(西島秀俊)と美容師の矢吹賢二(内野聖陽)は、お互いを「シロさん」「ケンジ」と呼び合う恋人同士である。シロさんが毎日作る美味しそうな食事と、それを囲みながら話す二人の穏やかな日常を描いている。

原作を読んだことがなかったため一話読んでみたが、非常に再現度の高いキャスティングである。またシンプルな劇伴、演出、カメラワークが、原作の素朴な世界観をよく表している。そしてシロさんが作る美味しそうな料理が、映像化により格段に魅力を増している。料理漫画の映像化は料理シーンが醍醐味だと強く感じた。

原作と大きく違うと感じたのが、”同性愛”であることの描写である。漫画では台詞の中に「同性愛」「ゲイ」とはっきり書かれていることが多いが、ドラマでは直接的な台詞が非常に少ない。同性愛は何も特別なことではなくて、悩みやすれ違いがあること自体は異性同士のカップルと変わりがないのだ、というメッセージ性がドラマを通して分かりやすく表現されており、好感が持てる。

一番印象に残ったのが、ケンジを演じる内野聖陽の演技である。 あからさまなゲイっぽさはないのに、言葉の節々に愛らしさが感じられる。シロさんの炊き込みご飯を食べて言った「すっごい美味しい」の言い方など、絶妙である。母親との電話で同性愛者であることをカミングアウトするよう言われ辟易としているシロさんに対し、ガッツポーズのジェスチャーで応援するケンジの姿も良かった。

ドラマ終盤、カムアウトする/しないのスタンスの違いで喧嘩をしたシロさんとケンジが食卓を囲みながら、以下のような会話をする。

ケンジ:「ニンニクと玉ねぎどっさり乗ってるこれ、俺大好き。」

シロさん:「接客業だから、休みの前の日くらいしか思いっきり食えないだろ。」

ケンジ:「俺が明日休みだから…幸せ。」

日常の中で相手の思いやりを感じる瞬間こそ「幸せ」なのだと思い出させられる。穏やかに描かれるシロさんとケンジの日常が今後も楽しみである。

『初めて恋をした日に読む話』最終話

『はじこい』最終話のテーマは、なんと「ユリゲラー」。
最初はこのテーマに笑ってしまったが、なんとも『はじこい』らしい最終話だった。「ユリゲラー」が象徴しているのは三つ。由利(横浜流星)、春見(深田恭子)と由利のジェネレーションギャップ、そしてこのドラマを通して描かれている「普通じゃない」というテーマである。

交通事故で怪我をし、入院している春見がスマホで由利の連絡先を見ながらつぶやく。

春見:(ナレーション)死ぬかもしれない。そう思ったとき思い浮かんだのは…浮かんだのは…「ユリゲラー

1話から春見は常々、由利を色んなあだ名で呼んできた。「ゆりこ」など、中には変なあだ名もたくさんあった。「ユリゲラー」もそんな春見の変なあだ名の一つとして発せられたが、1話からの伏線が最終話で回収された形になる。

その後のシーンにて、「入院中暇だから趣味を見つけたい」と言っていた春見のために、八雲(永山絢斗)が様々な雑誌を買ってきた。その中の一冊が「超常現象の世界」という雑誌だった。最終話では春見が何度もこの雑誌を見つめながら由利に思いを馳せたり、スプーン曲げが新しい趣味と言い張りながら思い詰めた表情でスプーンを見つめたりしていた。「ユリゲラー」から由利を連想していたのだ。

また、最終話ではこれまでの回想シーンを用いながら「普通じゃない」「変な大人」というテーマが繰り返されていた。春見の勤める塾の塾長(生瀬勝久)は常々「由利君は普通じゃない」と言ってきた。また由利は春見に常々「変な大人だ」と言ってきた。
春見は、由利に「八雲と結婚する」と嘘をついてさよならを告げた後、山下(中村倫也)にこのように話している。

春見:「私やっと今、真っ当な大人になれた気がする。」

山下:「真っ当な大人ねぇ。」

「変な大人」に対し、「真っ当な大人」という表現が用いられている。

 八雲と結婚するのが嘘だと知った由利が再度春見のもとを訪れると、改めて春見は由利に一緒にいられないことを告げる。由利の将来や、春見自身の年齢を考えての決断である。
出演するキャラクターが一同に会した松岡(安達祐実)と西大井(浜中文一)の結婚祝いにて、春見は由利とのやり取りを告白。それに対して、塾長や山下が以下のように返した。

春見:「真っ当な大人として、誠実にさよなら出来たと思う。嘘もついてない。」「大人として常識的に考えたら、誰だって…」

塾長:「普通ですね。極めて普通です。春見先生は普通の大人じゃないと思ってたんですけどねぇ。」

山下:「由利、昔俺に言ってたぞ。変な大人になりたいって。」

春見は由利から「先生みたいな大人に俺もなれますかね」と言われたことを思い出す。そしてユリゲラーのごとく春見の持っていたスプーンは折れ、はっとした春見は自分を取り戻す。自分の選択は間違っていたと気付いたのだった。
スプーン曲げというコミカルな表現を用いて、春見はやはり「普通じゃない」ということが表されていた。

由利に会いに東大の教室に乗り込んだ春見は、自分は由利とジェネレーションギャップがあるけど本当に良いのか、ということを「小室ファミリー」や「傷跡がなかなか治らない」といった表現を用いながら伝える。その中で由利に対して「ユリゲラーとか知らないでしょ」とも言い放つ。それでも春見が良いと、6話と同じ台詞を用いて「何回言わせんだよ」と伝える由利。

由利:「やっぱ変な大人だな。」

春見:「ばーか。残念だけど、君ももうすぐそうなるよ。」

1話から最終話まで「変な大人」の春見と、「普通じゃない学生」の由利を描いてきた本作。普通じゃない春見と由利だからこその選択でハッピーエンドを迎える形となった。

春見:(ナレーション)「私にはもう、君みたいな無敵な時間はない。だけど、好きな色を選んで笑うのも、無茶な道を進んで泣くのも自由。全部自分のせいに出来る歳だ。」

由利に会いに東大に向かう際の春見のナレーションである。親の期待に応えるために勉強を頑張ってきたが、東大受験に失敗し、それからは何となく毎日を過ごしてきた春見。由利に出会って、自分の意志で、責任を持って選択が出来るよう成長した姿を表している。
この春見の言葉は、これから様々な選択をする人の背中を押したに違いない。 ただの恋愛ドラマではなく、自分の選択に対する後押しや決断の勇気がもらえるような、そんな素敵なドラマだった。

『初めて恋をした日に読む話』9話

今回の『はじこい』のテーマは「選択」。ドラマ内の様々なシーンで何度も「選択」にまつわる会話がなされた。

冒頭、由利(横浜流星)と父親の菖次郎(鶴見辰吾)がこのような会話をする。

菖次郎:「仕事でも何の世界でも、高みを目指せば必ず、厳しい選択をしなければならない時がくるんだ。」

由利:「俺は両方取りに行く。」

菖次郎:「お前なら出来るかもしれないな。」

 

また、春見(深田恭子)が八雲(永山絢斗)からプロポーズされたことを松岡(安達祐実)に伝えると、松岡は春見にこう言う。

松岡: 「しっかり悩んでしっかり選びな、どっちにするのか。」

松岡の言う「どっち」とは、暗に八雲と由利を示している。

センター試験マークシート択一問題を説明するシーンでは、以下のような台詞がある。

春見:「選択するってことは、他を捨てるってこと。」

春見と由利が初詣に行くシーンでは、春見が由利に最初に勉強を教えた神社にて、東大受験の道を選んだ由利に対して春見がこのようにつぶやく。

春見:「何を選ぶかで、人生変わるんだよね。」

由利:「俺は春見を選んだんだよ。」

 ラストの春見のナレーションでは、由利に対してこのように語っている。

春見: 「世界中の誰より祈ってる。君の選ぶその答えが、君の夢を叶えてくれることを。」

これだけ何度も、しつこいくらいに「選択」が強調された9話。
由利にとっては東大二次試験の日、八雲にとっては今後のキャリアが決まるレセプションの日、春見が交通事故に遭う。八雲は仕事ではなく春見を選び病院へ。由利は春見ではなく試験を選び受験会場へ。
次回予告で由利と山下(中村倫也)がこのように語っている。

由利:「春見じゃなくて受験を選んだ。選ぶってことは捨てるってことだって、前に春見が。」

山下:「後悔してんのか。」

由利:「後悔はしてない。」

春見は由利の東大現役合格を誰よりも願っている。そしてその思いを、由利もしっかりと受け止めている。由利にとっては、受験を選ぶことが同時に春見のためでもあるから、受験を選ぶことで春見も選んだこととなる。ドラマ冒頭、父親との会話での「両方取りに行く」という台詞にも、その思いが表れている。

8話感想のブログで書いた、春見は「何のために」由利の東大受験に全力なのか、という問いだが、9話にて由利のことが好きになっているからだと明らかになった。
また、これまでの回で話題になったシーンや台詞のオマージュが詰め込まれており、ドラマを見てきたファンへのサービスに溢れた内容となっていた。誰もがハッピーエンドを望んでいるに違いない今作、最終回を楽しみに待ちたい。

『初めて恋をした日に読む話』8話

今回の『はじこい』のテーマは、八雲(永山絢斗)のこの台詞に集約されていた。

八雲:「人が動く動機は、究極的には二つだ。自分の幸せのためか、好きな人の幸せのため。俺は好きな人を悲しませたくないんだよ。」 

それぞれが、それぞれの好きな人、大切な人のために行動した8話。 山下(中村倫也)も八雲も春見(深田恭子)のために。山下の元妻である優華(星野真理)の父、吉川(平泉成)は娘のために。

そして由利(横浜流星)は、これまで春見のために東大合格を目指していた側面が大きかったが、いつしか「自分のため」という側面が大きくなっていた。ドラマ冒頭、由利が春見に「今更だけどさ、理Ⅰってどんなことやんだっけ」と聞いている台詞は、自分の将来を想像し、自分のために東大に合格したいという意識が大きくなっていることを表している。しかし由利自身は、そんな自分の気持ちの変化に気付いておらず、父親に関する事件も相まって東大受験の本当の目的が何か分からなくなり、混乱した。そしてドラマ終盤、八雲から指摘と激励をもらったことでやっと気付いたようだった。由利は今「自分のために」、そして「大切な春見のために」東大受験に向かっている。

一方で春見はどうだろう。東大受験に失敗した自分のコンプレックスを払拭するために、「自分のために」由利の東大受験を全力で支えているのか。それとも由利自身のことを好きになっているから、「好きな人のために」全力なのか。春見自身もまだ本当の自分の気持ちに気付いていないように見受けられる。そして視聴者に対してもどっちつかずの表現をしている。春見が「何のために」今、由利の東大受験に全力を注いでいるのか。今後の展開で明らかになることを待つ。

『初めて恋をした日に読む話』6話

『はじこい』では毎回ドラマの内容に応じ、あるキーワードが繰り返し強調される。4話では「幸せ」、5話では「元気」、そして6話では「肩書き」だった。

八雲(永山絢斗)は松岡(安達祐実)の提案により、春見(深田恭子)に自分のモテる様を見せつけるため、高校の同窓会を開くこととした。ドラマ中盤、八雲の同僚である西大井(浜中文一)は、同窓会でモテる自分をアピールしようとしている八雲に姑息だと伝えた上で、学歴や肩書きで女子が寄ってくるのは良いこととは言えないと話す。

西大井:「学歴も肩書きもない別の自分になったら、本当の出会いがあるかもしれないなって思うんですよね。」

自身は違う高校の松岡もちゃっかり同窓会に参加した上で、男性陣からもらった名刺の肩書きを読み上げながら「まあまあかなぁ。」とつぶやく。

その後、西大井は雨宿りにより偶然出会った松岡に対し、エリート商社マンである自分の肩書きを隠し、売れないダンサーと偽った上でカフェに誘う。

このようなコミカルな描写を挟みつつ、ドラマ終盤で由利(横浜流星)と春見が以下のように会話する。

由利:「歳とか先生とか肩書きとか、そんなの全部関係なくて、ただ普通に春見に会いたかった。」

春見:「私は先生として会えて良かったよ。ユリユリを東大に合格させることが出来るから。」

肩書きを気にする西大井や松岡と対比することで、肩書きに関係なく素直に思いを伝えたい由利の純粋さ、切実さが際立つ。話の流れを損なわず、直接関係のない様々な人物の台詞に繋がりを持たせることで終盤の見せ場を引き立たせる演出が毎回巧妙で、1時間目を離せないドラマである。今後も期待したい。

『関ジャム 完全燃SHOW』「知識ゼロでも面白いアニソン特集」

2019/2/17放送の関ジャムはアニソン特集。1960年頃は子ども向けが主流だったアニメも、近年では大人の視聴者が増加。それに伴いアニソンも、子ども向けだった時代から、大人がライブで楽しめるものへと進化した。近年のアニソンの進化について、以下4名の重要人物を通して紹介する回であった。

中でもスタジオ出演もしていた大石は、2年ほど前に「ようこそジャパリパークへ」をきっかけに知ってから応援している。様々なクリエイターがヒットの法則を生み出しながら盛り上げてきた近年のアニソン界において、大石自身も何か新しさを出せないか、より多くの視聴者が楽しめる音楽を作れないか、と模索しながら大石らしいアニソンを作る努力をしてきたことがよく分かった。

徹底的なリサーチを基にしたマーケティング型音楽制作

大石は自身を「最強の下請け」と表現しており、アニソンを制作する際、発注者や、その先にいるアニメ視聴者、原作ファンを絶対的な存在としている。そのため、制作時には原作ファンのSNSまでチェックするとも話していた。

こうした徹底的なリサーチは、以前関ジャムで西野カナが話していた楽曲制作にも通ずるものがある。2018/11/25放送の回にて、西野は自身の楽曲制作時、友人へのアンケートや取材を通し、多く得られた意見を歌詞に落とし込むと話していた。この徹底的なリサーチにより、西野の楽曲は多くの人々の共感を得ているのだと納得した。

天才型のクリエイターによって、その個人のセンスにより作られた音楽がいきなりヒットすることもあるだろうが、「どのような音楽なら多くの人に受けるのか」を徹底的に考えたマーケティング型の音楽も一定数存在するのは確かだろう。売れて利益が出なければクリエイターもアーティストも生活できない。「自分のやりたい音楽」と「売れる音楽」の折り合いをつけるのは、クリエイターやアーティストにとって永遠の課題なのだろう。

多彩な大石昌良 それぞれの顔における音楽スタイル

大石はアニソンのクリエイターとしてだけでなく、アニソン歌手としてのオーイシマサヨシ、アニソンユニットのOxTSound Scheduleというバンドのギターボーカル、アコギ弾き語りのシンガーソングライターとしての顔も持つ。大石の場合、それぞれの顔における「自分のやりたい音楽」と「売れる音楽」のバランス、どのくらい大衆受けするかの個人的な印象は以下の通りである。

アニソンクリエイター、アニソン歌手、OxTとしての大石…大衆受け度合い:高
徹底的なリサーチによりアニメ視聴者に受ける音楽を届けている印象。ライブにおける観客とのコミュニケーション含め、多くのアニメファンを魅了している。

Sound Scheduleとしての大石…大衆受け度合い:中
当バンドは1999年に結成後、2006年に一時解散、2011年に再結成している。結成当初からのファンと大切に音楽を紡いでいるので、今後も引き続きこのバンドの空気感を大切に活動を継続していくだろう。王道Jpop好きの私は「グッドタイムコミュニケーション」という楽曲が気に入っているのだが、これは再結成後の楽曲とのこと。バンドの空気感はそのままに、最近の大石の音楽性がより大衆受けするものになっているのではないかと感じる。

ギター弾き語りシンガーソングライターとしての大石…大衆受け度合い:中
その高いアコギ演奏技術を生かし、弾き語りでどこまで出来るのかを追求している印象。その分大衆受け度合いは低くなるが、大石の持つ顔の中で一番本人が自由に新しいことに挑戦できる場所だと思うので、今後も好きなように楽曲制作していってほしい。もちろん大衆受けを狙って知名度を上げても良いと思う。そのような方針含めて自由にやっていってほしい。

 

関ジャムでは最後のジャムセッションにて、大石が制作した「ようこそジャパリパークへ」をバンドアレンジで演奏していた。大石はギターボーカルとしてその歌唱力、ギター演奏技術を披露しており、大石の多彩な顔が余すところなく表現されていた。今後は関ジャムのギター回などにも大石に出演してもらいたいところ。